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IV章:顎関節症を分かりやすいモデルで考えよう

先日の新聞に「眼鏡の悩み」という投稿記事が載っていました。48歳の女性が初めて眼鏡をあわせてもらって家に帰り、一時間も文字を見ていると頭がボーッとして痛くなったので店の人に言うと、そのうちに慣れるでしょうと言われたので、しかたなく別の眼鏡店で作りなおしたそうです。

『眼鏡』を『歯』に置き換えると、そのまま顎関節症の話になりそうです。眼鏡の場合は網膜に焦点が良く合うレンズに変えれば問題を解決します。このことは眼をカメラに例えれば理解しやすくなります。顎関節症においてもこのカメラに相当するモデルを考える事が出来れば、問題を考えやすくなるのではないかと考えられます。

『眼鏡』の場合は、眼の焦点がボケているために無理に合わせようとして毛様体筋や眼筋が疲労して頭痛が起こるのと同じように、『歯』の場合は、歯の咬み合わせの焦点がボケているために咀嚼筋が無理に合わせようとして疲労して痛みを発すると考えられます。歯の咬み合わせは顎関節を支点として閉口筋の活動により決定され、正常な健康人では約0.2mmの範囲で安定しています。また歯を咬み合わせた時の筋活動は左右前後的にバランスが保たれており、その安定した位置は顆頭安定位と呼ばれています。ところが機能異常を有する人では、前述の症例で見てきましたように、下顎頭の関節窩内での位置が主として後方に偏位し、咬筋の活動が抑制され側頭筋の活動が著名に見られる人が多く見られます。

私はこの状態をわかりやすく表現するために“やわらぎ顎関節モデル”(図Wー1・a,b)を開発しました。このモデルはモトコカンパニー社から発売されています。上部頚椎、頭蓋骨、下顎骨、舌骨の4つのパーツと関節円板から構成されており、次のような特徴があります。

1.モーターによる連続開閉運動が可能です。

2.関節円板は正確に関節円板前方転位の状態と円板が復位した状態を再現可能です。

3.筋肉を模した輪ゴムをかけかえることにより(筋運動の強弱)、関節円板を前方転移させたり、復位させたりできます。

4.関節円板前方転位の状態では開閉口に応じてクリックが発生しますが関節円板の復位した状態では顆頭のスムーズな回転滑走運動が行われます。

5.アキシオグラフによる運動経路が描記しているため、その診断学的意味が明確になります。

6.筋電図の診断学的意味が明確になります。

7.歯列、筋活動、顎関節の調和した正常モデルと三者の不調和な異常モデルとの対比が明確です。

8.顎運動における顎関節と第2頚椎歯突起部に存在する頭蓋骨の運動軸の役割が容易に理解されます。

 このモデルの関節円板は実際の解剖標本(図Wー2)を基に作成しています。

 咬筋と側頭筋の力学ベクトルの合力である前上方の力を受けた場合は、下顎頭はアキシオグラフ(下顎頭の運動経路)上の振り子運動の終点に位置します(図Wー1・a)が側頭筋優位の後上方への力学ベクトルを受けた場合は下顎頭は静止した関節円板の下関節面を後方滑走して最後退位に位置します(図Wー1・b)。

このように生体と同様に閉口筋の筋活動の合力のベクトル方向によって下顎の位置を誘導する仕組みになっています。

このモデルを用いますと、症例5〜7のような顎関節症患者の状態は図Wー1・bのように表現できます。つまり咬筋を模したゴム輪よりも側頭筋を模したゴム輪の力の方が力が強く下顎が後方へ偏位している状態です。本来の状態は図Wー1・aのような咬筋を模した輪ゴムの力と側頭筋を模した輪ゴムの力のつりあった顎関節も上下歯列も適切な上前方への嵌合状態を示す状態になります。

このモデルを用いて「メガネの悩み」の話と比較しますと、次のようになります。眼の場合はメガネの焦点が全然あっていなかったり眼のレンズの弾性が失われていると、毛様体筋がいくら調節しようとしても焦点が合わせることが出来ません。それと同じように、歯の場合は上下歯列の咬合状態が本来の位置よりずれていますと、いくら咀嚼筋が本来の位置に下顎をもっていこうと思っても歯牙により干渉を受けてしまい、ずれた位置にしかたなく咬合してしまうと考えられます。これが私の考える『顎関節症のモデル』になります。このモデルによるならば異常モデルと正常モデルの比較が一目瞭然です。

つまり健常者は現在の咬頭嵌合位が本来の下顎位に一致しているので歯の噛み合わせの焦点があっているのに対して顎機能異常を有する人、つまり顎関節症患者では現在の咬頭嵌合位が本来の下顎位に一致していないので歯の噛み合わせの焦点があっていないと考えることができます。

本来の下顎位というのは、歯列、筋活動、顎関節の三者の調和のとれた位置と考えられます。そして病的な下顎位というのは、その三者の調和の壊れた下顎の位置ということができます。

補綴学用語を用いて簡単に表現をするならば、ICOP(咬頭嵌合位)=CO(中心咬合位、本来の咬合位)ならば「正常」で、ICOP(咬頭嵌合位、習慣性咬合位)=MROP(最後退位、限界運動内でやむなく後方におしやられた位置)ならば「異常」と表現できます。これを診断学の定理に応用すると、症状(+)→病的→ICOP=MROP(歯列、筋活動、顎関節の三者の不調和)となります。そして治療学の定理に応用すると、ICOP=CO(歯列、筋活動、顎関節の調和を計る)→生理的→症状(−)となります。以前はCR(中心位)=MROP(最後退位)であったのですが現在では国際的にはCR(中心位)=CO(中心咬合位、本来の咬合位)の意味に変更されました。日本の補綴学会ではまだこの変更はなされていませんので現在混同して用いられています。私はこのCRとCOの意味の混同が現在の顎関節治療の困難さの原因だと考えています。次章ではこの用語の歴史的な流れを文献的に見て行きたいと思います。

(ICOP=Inter Cuspal Occlusal Position, CO=Centric Occlusion, MROP=Most Retrueled Occlusal Position, CR=Centric Reration )

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