顎と体の健康の話 目次に戻る---------- ←前の章へ-------------- 次の章へ→---------------

XII章:閉口筋の筋活動と顎関節の生体力学特性を応用した、
下顎神経の電気刺激法による咬合採得法と
臨床的な生理的咬合の判定基準について

咬合採得法や咬合位については色々な方法論や定義が提唱されているようですが、その概念通りの咬合位や顎位が実現されているかどうかに対しての再評価について言及している例は少ないように思われます。その為には生理的咬合の判定基準といったcriteriaが必要になります。そしてその判定基準から必然的に導かれた方法論つまりmethodがなければなりません。自分がやろうと思った事が、その通りに実現されているかを常にチェックすることが安全な医療に結びつくと考えられます。以前は『中心位』という概念は『最後退位』と同じ意味を持ち、機械的な再現性が重要視されていましたが、最近では、『中心咬合位』や『顆頭安定位』と同じような意味を持つ概念に変更されました。わかりやすく言えば、正常者の咬頭嵌合位における下顎頭の位置と言えると思われます。別の意味で言えば、「左右の顆頭が、それぞれの下顎窩内の前上方部と対向し、かつ関節円板の最も薄い駆血的な部分と嵌合している上下顎の位置関係」(歯科補綴学用語集5th edition,1987)になります。この位置関係(図]U−1,a)では下顎頭にかかる力のベクトルは前上方で、関節結節から反力をうけています。そして関節円板の中間部がその間に介在しています。

しかし、下顎頭が最後退位にある場合(図]U−1,b)は下顎頭にかかる力のベクトルは後上方で、関節窩の後壁から反力をうけています。そして関節円板の後部組織がその間に介在しています。

健常者においては、軽い力のタッピングにおいても、強い力のタッピングにおいても同様に咬頭嵌合位(顆頭安定位)をとりますが、最後退位はかなり意識して下顎を後方に下げる必要があります。しかし、ここで注意しなければいけないのはこれは上半身が直立位にある場合にそうであると言う事です。歯科の治療台のような水平位で完全に力を抜いた場合には重力の作用により容易に後退位をとることが出来ます。ですから患者をリラックスさせて術者の誘導で咬合採得を行う場合はよほど注意しないと顆頭安定位を採得したつもりが、実は後退位であったということになりかねません。ですから生理的な咬合採得法はそのテクニックだけでは根本的に不十分で、必ずその再評価法を含んだものでなければならないと考えられます。

顎関節の生体力学的特性から考えますと、咬筋の作用ベクトルは前上方で、側頭筋の作用ベクトルは後上方ですから(図]Uー1,c)、咬筋の作用ベクトルと側頭筋の作用ベクトルの合力により顆頭安定位に誘導されることがわかります。この考え方を基にして、顎関節症の治療顎位に対する仮説について考察すると次のようになります。

生体の外的器官の構造と機能は、総体的な骨の解剖(上下顎歯列)、統合された筋活動、正確に制限を加える靭帯構造(顎関節)と関連しています。したがって顎関節症は、これらの三者の調和が壊れた状態であるということができます(図44)。しかるに、顎関節症の治療顎位は、三者の調和のとれた上下顎の位置関係であるといえます(図45)。

つまり顎位は上顎骨と下顎骨の間に存在し、咀嚼筋の筋活動と、顎関節や外側靭帯などの靭帯構造によって動的に決定されます。また上顎骨は、顔面骨として頭蓋骨を形成するため、上顎骨の位置は頭位によって決定されます。頭位は第一頚椎の上関節の2点で支持され、前頚筋と後頚筋のバランスによって保たれています。そして頚椎は、脊椎の上部に位置し脊椎下部は、仙腸関節で腸骨と連絡しています。座位であればここで地面と相対しますが、立位ではさらに、股関節、膝関節、足首、足底へと続きます。

このように物理的な慣性の法則や作用反作用の法則が適用されます。そして、顎位は静的に存在するものではなく、姿勢つまり動的な静としてとらえるべきものと考えられます。

ここで、ある個体がくつろいだ姿勢で直立し、または正座をして、視線が水平方向になるように頭位を維持したと仮定すると、下顎の位置は、両側の下顎頭と下顎切歯点の3点で決められます。この姿勢で、口唇がわずかに接している位置が「下顎安静維持位」と定義され、切歯間の間隔は、正常では2〜5oであるとされています。

したがって顎位の決定のためには、下顎切歯点の位置および両側下顎頭の位置や、神経筋機構の活動状態の観測が必要となります。また、筋肉の安静状態や、左右均等な筋活動状態をいかに実現するかが問題になります。

現在ある一般的な観測機器のなかでは、下顎切歯点はMKG、下顎頭の位置はアキシオグラフ、神経筋機構の活動状態は筋電図で観測可能です。また、筋肉の安静状態は、下顎切痕部経皮的電気刺激(マイオモニター)によって実現可能であるとされています。次に、これらの機器を用いた治療顎位の採得法の原理について述べます。

1.閉口筋の筋活動と顎関節の生体力学特性を応用した、下顎神経の電気刺激法による咬合採得法

両側下顎切痕部にマイナス電極、後頭部にプラス電極をとりつけ、2秒毎刺激幅500〜1000μsecの矩形パルス刺激を行い、咬筋、側頭筋の誘発筋電図をモニターし、左右の筋活動が均等になるように調整を行います。姿勢は、口唇がわずかに接している下顎安静姿勢維持位とし、上下の歯牙がわずかに接触するように刺激強度を調整します。通常15〜30分刺激を続けると、筋肉がリラックスされます。誘発筋電図では座骨神経刺激により、ヒラメ筋から得られるM波(運動神経が直接刺激されておこる筋収縮波)と同様なM波が下顎神経刺激により、側頭筋後部、前部、咬筋、顎二腹筋前腹などに認められます(図]Uー3))。

筋電図によって測定された電圧と発生した筋収縮力とは、一定範囲で正比例することから、下顎切痕部経皮的電気刺激(マイオモニター)によって発生した筋収縮力は、ほぼ咬筋の走行に平行な合力Fとして表すことができます(図]Uー2,b・d)。合力Fは、変曲点Bの接線に水平な力Fxと垂直な力Fyに分解されます。Fxにより、下顎頭は変曲点Bに位置づけられFyにより、下顎は変曲点Bを中心に上方へ回転運動を行います(図]Uー2)。その結果、下顎切歯点は両側下顎頭を回転中心とした3次元的な1つの半円を描きます。実際には、MKG上では1つの直線として描かれます。理論的に求める顎位は、その直線上の下顎安静姿勢維持位の位置から安静空隙(2〜5mm)だけ上方の位置になります。

実際に私の診療所で行っている咬合採得法は次のようなものです(図]Uー4)。

頭部まで背もたれのついた構造医学用の治療椅子にすわらせて全身的に力を抜いて、リラックスしてもらいます(写真@A)。そして下顎神経の電気刺激を行い、下顎運動が誘発されるまで強度をあげます(写真BC)。マイオプリントの粉を適量用意し(写真D)、液が粉全体がしめるまで過不足なく入れます(写真E)。そして少し粘性が出るまで30秒くらい練ります(写真F)。シリンジにてん入し、一担刺激を弱め両側の下顎歯列の咬合面上に適量押し出します(写真G)。患者には咬まない程度に口を閉じさせ肩の力を抜くように言います(写真H)。それから、上下の歯列の歯牙が接触するまで刺激強度を上げます(写真I)。マイオプリントは練和した直後はサラサラしていますので電気刺激により誘発された運動阻害しません。大体5分くらいで硬化し、10分くらいで完全に硬化します。この間必ずそばについていて肩の力を抜いてリラックスするように指導します。そしてアキシオグラフ上であらかじめ記録した運動経路上のどの位置に誘導されるかを見て再評価を行います(写真JK)。この患者はもともと右顎関節に障害のある下顎の右後方偏位例(写真M)で、矯正治療と咬合治療を行った症例(写真L)ですので術後の咬頭嵌合位(写真N)と最後退位(写真O)はずい分差があります。この症例は歯科用のchairに寝た状態で下顎位をドーソンのバイラテラル法を行ってみた所、得られた顎位は最後退位でした(写真O)。しかし椅子に座った状態で下顎安静位から下顎神経の電気刺激により誘導された下顎頭の位置は矢印で示す変曲点にありました(写真PQ)。この位置は今まで考察してきた本来の下顎頭の位置に他ならないと考えられます。

正常例外側部部分前方転位非復位例(写真S)、完全前方転位復位例(写真21)、完全円板前方転位非復位例(写真22)において(非復位例においては円板の整復を行った後に)、下顎神経の電気刺激法による治療顎位の咬合採得を行い、その顎位を指標にして咬合再建等の治療を行った結果、正常例(写真R)と同様な運動経路を示す様に治癒が見られました。そして術後において矢印で示す位置(変曲点)に咬合位が安定しました。この咬合採得法はJankelsanのMyocentricに似ていますが私はJankelsanより刺激強度を強くしアキシオグラフと筋電図による再評価法を加えました。

2.臨床的な生理的咬合の判定基準

正常モデルでは、電気刺激法により誘導された下顎の位置は、切歯路と顆路において長い矢印の位置になります。この位置は咬頭勘合位つまり長い矢印の位置に一致しています(図]Uー5・a)。そして短い矢印で示す最後退位での筋活動は側頭筋(LTA,RTA)の活動が優位で咬筋(LMM,RMM)の活動が抑制されていますが、長い矢印の咬頭嵌合位と一致した顆頭安定位では両者とも左右前後的に均等な活動が認められます(図]Uー5・b)。

異常モデルでは、電気刺激法により誘導された下顎頭の位置は、切歯路と顆路において短い矢印の位置になります。この位置は咬頭嵌合位(長い矢印の位置)の前方位になります(図]Uー6・a)。そして長い矢印で示す咬頭嵌合位での筋活動は側頭筋(LTA,RTA)の活動が優位で咬筋(LMM,RMM)の活動は抑制されますが、短い矢印で示す咬頭嵌合位より前方の咬合採得した位置(術後の顆頭安定位)では両者とも左右前後的に均等な活動が認められます(図]Uー6・b))。

正常モデルでは電気刺激により誘発された下顎の位置と本来の咬頭嵌合位とでは、切歯路、顆路、筋活動の属性は一致していますが、異常モデルでは違いが認められます。そして、異常モデルにおける咬頭嵌合位の属性は正常モデルの最後退位と一致し、電気刺激法により誘発された位置の属性は正常モデルの咬頭嵌合位(顆頭安定位)と一致しています。

術前の診査結果が異常モデルに属し治療顎位における再評価で正常モデルに属すなら治療により症状の改善が望まれます。しかし、症状があるにもかかわらず正常モデルの範中であったり、治療顎位を採得しても再評価において正常モデルに属さないような場合は治療効果は望めない可能性が高くなります。つまり術前に治療の予後の見当がつくことになります。

私はこの判定基準を用いることで予知性のある治療を行うことが可能になりました。そして治療の過程においていつでも再評価を行うことで治療がうまくいっているか、いないかをチェックすることができるのですから、術者も患者も安心して治療を行えます。このことはインフオームドコンセントにおいても重要なことだと考えられます。  

最初に戻る