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I章:顎運動の神経機構
(特別寄稿)島根医科大学教授 安井幸彦

藤田君と私は広島大学歯学部でお互い切磋琢磨して学んだ仲で、卒業後、彼は臨床家の、私は基礎医学の道を選んで今日まで来ました。学生時代の彼は大変探究心が旺盛で、私などいつも彼の熱心な勉学態度に圧倒されていました。その彼が開業した今も顎関節症の研究や治療に熱意をもって取り組み、多大な成果を挙げていることに私は大きな喜びを感じています。本稿は臨床の研究や治療においても基礎医学を重要とする彼の考え方に同調し、”友情寄稿”として顎運動の神経機構について概説したものです。彼の意図するところに少しでも役立ち、読者の方々に基礎医学的立場から見た顎運動のしくみについてご理解いただければ幸いです。

1.咀嚼筋と三叉神経運動核

咀嚼は口腔内に入った食物を切断粉砕し、唾液と混合することによって嚥下に適した形状を食塊に付与する摂食行動の一要素です。その運動は主として下顎骨に停止する筋によって遂行され、これに顔面筋(表情筋)や舌筋の協調性活動が加わります。一般に咀嚼筋といえば, 咬筋、側頭筋、内側および外側翼突筋の四種類の筋をいいますが、下顎骨に停止する筋群を咀嚼筋とする場合には顎二腹筋(前腹と後腹), 顎舌骨筋, オトガイ舌骨筋などのいわゆる舌骨上筋群も咀嚼筋に含まれます。ちなみに、狭義の咀嚼筋と顎舌骨筋および顎二腹筋前腹は三叉神経運動核の, 顎二腹筋後腹は副顔面神経核(三叉神経運動核と顔面神経核との間に位置する)の、顔面筋は顔面神経核の、オトガイ舌骨筋と舌筋は舌下神経核の運動ニュ−ロンによってそれぞれ支配されています。 以上のように, 咀嚼筋の多くは三叉神経運動核を形成している運動ニュ−ロンによって支配されていますが、これらの運動ニュ−ロンは三叉神経運動核内に無秩序に存在しているのではなくて、各咀嚼筋を支配するニュ−ロンはそれぞれ核内で集合してサブグル−プを形成しています。図 I-1に示すように、三叉神経運動核の背外側部には咬筋や側頭筋などの閉口筋を、腹内側部には顎二腹筋(前腹)や顎舌骨筋などの開口筋を支配する運動ニュ−ロンがそれぞれ集合します。このような運動ニュ−ロンの集合様式は支配筋対応配列と呼ばれ、顔面神経核や舌下神経核にも認められます。

2.三叉神経運動核の運動前ニュ−ロン

咀嚼の中心となる顎運動は三叉神経運動核の運動ニュ−ロンが末梢性および中枢性の入力を受けることによって遂行されています(図 I-2)。これらの入力のほとんどは運動前ニュ−ロンと呼ばれるニュ−ロンを介して三叉神経運動核に伝達されています。三叉神経運動核に直接投射線維(軸索)を送るニュ−ロンが運動前ニュ−ロンであり、これらは脳の中でも下位脳幹といわれる橋や延髄に多数認められます。とくに、三叉神経感覚核群(三叉神経中脳路核、三叉神経主感覚核、三叉神経脊髄路核)や外側網様体に属する三叉神経運動核周囲の網様体および延髄の小細胞性網様体にそのほとんどが存在しています(図 I-3)。三叉神経運動核周囲の網様体は延髄の小細胞性網様体と連続したものであって、とくに三叉神経主感覚核と三叉神経運動核との間の領域は三叉神経間領域と呼ばれています。また、三叉神経運動核の背側から吻背側方にかけての領域は三叉神経上領域と呼ばれ、この領域には抑制性のニュ−ロンが存在していることが知られています。さらに、延髄の小細胞性網様体には顔面神経核や舌下神経核に投射線維を送る運動前ニュ−ロンも多数存在していることが知られ、中には軸索側枝でもって複数の運動神経核に同時に投射するものがあるといわれています。これらの運動前ニュ−ロンは三叉神経中脳路核のニュ−ロン(同側性に分布)を除けば、一般に両側性に分布し、顎反射を初めとする脳幹反射において介在ニュ−ロンとして働いていたり、上位の運動中枢からの投射を受け、その情報を三叉神経運動核のニュ−ロンに伝達することによって、顎運動の発現や調節に重要な役割を担ったりしているのです。

3.顎反射と末梢性入力

咀嚼中の顎運動は食物の性状に対応したパターンや咀嚼力を発揮されるように調節されています。たとえば、噛んだ食物の硬さが硬いほど、厚さが厚いほど咬合力は大きくなります。このような効果は、意識下において反射的に行われていると考えられています。 顎反射に関与する末梢性入力、すなわち口腔領域からの感覚情報は三叉神経によって中枢(脳)に伝達されます。三叉神経の一次感覚ニュ−ロンは大きく二種類に区分され、一つはその細胞体が三叉神経節に位置するもので、もう一つは三叉神経中脳路核に細胞体が存在するものです。三叉神経節ニュ−ロンの末梢性突起は頭部顔面の皮膚、口腔内粘膜、歯などに分布し、その中枢性突起は三叉神経主感覚核や三叉神経脊髄路核に終止します。そして、温・冷覚、触・圧覚および痛覚などを伝達します。 一方、中脳路核ニュ−ロンは三叉神経節ニュ−ロンと違って細胞体が脳内に位置し、その末梢性突起は閉口筋の筋紡錘や歯根膜の圧受容器に分布しています。中脳路核ニュ−ロンの中枢性突起は主に三叉神経運動核(とくに、閉口筋支配領域)に投射することが知られていますが、そのほか三叉神経主感覚核や三叉神経運動核周囲の網様体(とくに、三叉神経上領域)などにも終止することが報告されています。

三叉神経節ニュ−ロンや中脳路核ニュ−ロンによってもたらされる末梢からの感覚入力をもとに、 様々な脳幹反射が形成され, 咀嚼中の顎運動が制御されています。とくに咀嚼力の調節において重要なものとして、歯根膜閉口筋反射と下顎張反射があります。歯根膜閉口筋反射は閉口筋活動が比較的弱い咬合の初めでは、食物をしっかり捕らえてよりよく強く噛みしめるのに働きますが、その力がある限度を越えると逆に口腔組織の破壊を防ぐように抑制的に働き、過度な閉口筋の収縮を抑えます。したがって、この反射は歯根膜に加わる圧の大きさに対応して咀嚼力を調節しているのです。このような歯根膜閉口筋反射では、歯根膜に加わる圧がある大きさに達するまでは図 I-4の1に示すように、歯根膜−三叉神経中脳路核−閉口筋支配運動ニュ−ロン−閉口筋という反射弓によって閉口筋の収縮を促通し、図 I-4の2に示すような歯根膜−三叉神経中脳路核−三叉神経上領域(抑制性ニュ−ロン)−閉口筋支配運動ニュ−ロン−閉口筋という反射弓によって過度な閉口筋の収縮を抑制しています。 一方、下顎張反射は閉口反射であり、筋紡錘を有する閉口筋にのみ認められ、筋紡錘を有しない開口筋には認められません。この反射は食物を噛みしめた時の開口度(あるいは閉口筋の長さ)に対応して咀嚼力を調節しているのであって、その反射弓は図 I-4の3に示す閉口筋筋紡錘−三叉神経中脳路核−閉口筋支配運動ニュ−ロン−閉口筋という経路から成り立っています。すなわち、閉口筋が伸張されるとその中の筋紡錘も伸張され、これに分布している三叉神経中脳路核ニューロンの末梢性突起にインパルスが発生します。そして、三叉神経中脳路核ニューロンの中枢性突起が三叉神経運動核の閉口筋支配運動ニュ−ロンに興奮性のシナプス伝達をすることによって閉口筋を収縮させることになります。

開口反射は機械的刺激や侵害性刺激によって誘発されます。咀嚼中に顎関節や歯根膜の機械受容器の刺激によって一過性に生じる( silent period )ことも知られていますが、むしろこの反射は咀嚼中に歯や顎関節に痛みを感じたり、誤って舌を噛んだ時に容易に生じ、防御反射の一つとして働いています。反射的に開口筋を収縮させるための経路としては、図 I-4の4のような歯・顎関節−三叉神経節ニュ−ロン−三叉神経脊髄路核−開口筋支配運動ニュ−ロン−開口筋という反射弓があります。ただし、このとき同時に閉口筋の弛緩が伴わなければならないので、閉口筋支配運動ニュ−ロンは抑制されなければなりません。そのために、図 I-4の4のもう一方の経路である歯・顎関節−三叉神経節ニュ−ロン−三叉神経上領域(抑制性ニュ−ロン)−閉口筋支配運動ニュ−ロン−閉口筋という反射弓が存在します。 これらの反射が巧みに利用され、また、以下に述べるような中枢性の制御によって複雑な咀嚼運動が遂行されているのですが、健全な咀嚼運動が行われるには正確な口腔領域の感覚情報が中枢内に送り込まれなければなりません。そのためには正常な顎口腔系の構造が必要であることはいうまでもありません。

4.顎運動の中枢性制御

三叉神経運動核の運動ニュ−ロンは上位の運動中枢からの入力を受けてその活動を制御されています。上位の運動中枢としては大脳皮質、大脳基底核、扁桃体などが挙げられますが、これらの中で最もよく研究されているのが大脳皮質です。

顎運動に直接関与する大脳皮質領域には、いわゆる大脳皮質運動野(4野)の最腹側部に位置する顔運動野と、これよりさらに吻腹側方に位置する大脳皮質咀嚼野があります。咀嚼野はネコでは眼窩回吻側部、サルでは6bα野に存在することが知られています(図 I-5)。また、これらの領域へ顎運動の遂行に必要な口腔顔面領域からの感覚情報を送り込む体性感覚野の存在も重要です。顔運動野は舌筋と顔面筋の運動の制御や定常的噛みしめ時の閉口筋の持続的収縮の強さの制御において重要な役割を果たしていると考えられています。これに対して、咀嚼野は咀嚼の主体となるリズミカルな顎運動の開始に関与し、また咀嚼中は体性感覚野から受ける口腔内の食物や咬合圧などに関する感覚情報をもとに、一連の咀嚼運動が円滑に遂行されるように機能していると考えられています。

以上のような顎運動の制御に関与する大脳皮質から三叉神経運動核への連絡は、少なくとも下位脳幹網様体に存在する運動前ニュ−ロンを介する多シナプス性の投射路によります。事実、ネコの大脳皮質咀嚼野に順行性標識物質を注入して下位脳幹への投射をみてみると、三叉神経運動核の運動前ニュ−ロンが存在する小細胞性網様体への投射が両側性で反対側優位に存在していることがわかります(図 I-6)。このような大脳皮質からの投射様式はサルやラットでも同様ですが、サルの場合には一部の投射線維が直接、三叉神経運動核に達するといわれています。

咀嚼運動の基本は閉口筋と開口筋の交互の収縮によるリズミカルな顎の開閉運動であって、除脳動物において脳の切断レベルよりも下位のレベルでの錐体路の連続刺激によってもリズミカルな顎運動が誘発されることから、このリズム形成機構は下位脳幹にあると考えられています。したがって、大脳皮質咀嚼野は下位脳幹のリズム形成機構をその下行性投射によって支配し、咀嚼運動の発現やリズムの周期の調節を行っていると思われます。

図 I-7は電気生理学的に考えられている咀嚼リズム形成機構の要約図です。この考え方によれば、大脳皮質咀嚼野を連続刺激すると、閉口筋支配運動ニューロンにはリズミカルな IPSP (抑制性シナプス後電位)-EPSP (興奮性シナプス後電位)が、開口筋支配運動ニューロンにはリズミカルな EPSP が誘発され、閉口筋支配運動ニューロンと開口筋支配運動ニューロンの興奮相は交互に出現します。閉口筋支配運動ニューロンの興奮相は橋網様体の興奮性ニューロンを介して、その抑制相は延髄網様体の抑制性ニューロンを介してそれぞれ誘発されます。また、開口筋支配運動ニューロンの興奮相は延髄網様体の興奮性ニューロンを介して誘発されます。これら各筋支配運動ニューロンに誘発されたリズミカルな膜電位変化が、各筋支配神経にリズミカルな発射活動を誘発し、閉口筋と開口筋の交互の収縮によるリズミカルな顎の開閉運動が出現することになります。最近ではさらに、図 I-7における大脳皮質とP、Im, Edニューロンとの間に、リズム形成を行う網様体ニューロンが介在するといわれていますし、Im, Edニューロンだけではなく、Pニューロンに相当するニューロンも、小細胞性網様体に存在することが報告されています。

咀嚼時には下顎の運動に協調して舌もリズミカルに運動しています。一般に開口時に舌は前進し、閉口時に後退しますが、開口相の途中で舌は後退し始めるともいわれています。このような下顎と舌の協調運動は基本的に中枢内の神経機構によって仕組まれていて、これには少なくとも延髄の小細胞性網様体に存在する運動前ニューロンが関与していると考えられます。なぜならば、延髄の小細胞性網様体には開口筋支配運動ニューロンと舌突出筋支配運動ニューロンに同時に投射する領域と閉口筋支配運動ニューロンと舌後退筋支配運動ニューロンに同時に投射する領域とが区別されるからです。また、開口相の途中での舌の後退開始には顎舌反射(受動的に開口させると舌体が後退する現象)が関与しているようです。

合目的的な運動の遂行においては大脳皮質系に加えて、大脳基底核系の働きも必要です。大脳基底核は皮質下に存在しているいくつかの大きな神経細胞群の集合であって、準備、開始や制御など、運動のプログラムにおいて重要な働きを担っていて、基底核障害では意味のない不随意な運動が特徴的に現れます。口腔顔面領域にみられる基底核障害の例としては、ラビット症候群や舌の突出・後退の繰り返しなどのほか、黒質病変によって生じるパーキンソン病では仮面様顔ぼうで無表情になったり、構音障害や咀嚼障害がみられたりすることがあります。

大脳基底核は広く大脳皮質から入力を受け、運動皮質へ運動司令を送っています。すなわち、被核と尾状核からなる線条体が大脳皮質から入力を受け、出力部位である淡蒼球内節や黒質網様部から視床を介して大脳皮質に大脳基底核からの情報が送られているのです(図 I-8)。このようなループが形成されることによって、目的にあった運動が選択され、不必要な運動はその発現が抑制されるように仕組まれていると考えられています.最近では大脳基底核はさらに脳幹の運動機構を直接的に支配して運動の調節に関わっているということが示唆されています。最初、この考え方は眼球運動、とくにサッケード(断続的急速眼球運動:視点を急速に変えるときの眼球運動)の発現において注目されました。眼球運動における要の部位である上丘は網膜や大脳皮質から興奮性の入力を受けています。さらに、上丘は大脳基底核の出力部位である黒質網様部から抑制性の入力を受けています。この黒質−上丘投射によって上丘の活動が抑えられていて、眼球運動の発現が起こらないようになっています。黒質網様部はまた線条体から抑制性の投射を受けていて、この線条体−黒質投射路は必要に応じて働き、その時に黒質は抑制されることになります。すると、黒質−上丘投射による上丘の抑制が外れ(脱抑制)、他からの興奮性入力によって上丘のニュ−ロンは急激な発射活動を示す結果、断続的急速眼球運動が発現するというのです。

このような大脳基底核系による脱抑制の機構は咀嚼運動の場合にも存在するようです。すなわち, 顎運動に関連するニュ−ロンが存在していることが知られている黒質網様部の背外側部からは直接に, さらには上丘の最外側部を介して三叉神経運動核の運動前ニュ−ロンプ−ル(橋・延髄の小細胞性網様体)に投射があることが最近の研究で明らかにされました(図 I-9)。この場合にも、黒質から上丘や網様体への投射は抑制性であり、線条体 - 黒質投射路が働くことによって、上丘や網様体のニューロンが脱抑制され、その結果、顎運動が発現されるのではないかと考えられます。この考え方を支持する薬理生理学的所見として、抑制性伝達物質である GABA の antagonist であるピクロトキシンを線条体に注入すると、 線条体ニュ−ロンの周期的発火とともに黒質ニュ−ロンの抑制が認められ, リズミカルな顎運動が出現してくることや、上丘外側部の破壊や GABA agonist であるムシモ−ルの注入によって, 黒質にムシモ−ルを注入することによって生じる顎の運動発現が阻害されることなどがあります。この両経路の機能的意義の違いについては、現在のところ不明ですが、上丘には三叉神経主感覚核や脊髄路核、さらには三叉神経間領域を介して口腔内や口腔周辺からの感覚情報が入力することや、大脳皮質顔運動野からの投射もみられることなどから、上丘ではこれらの入力と大脳基底核からの入力が統合されているようです.上丘はまた、頭部の運動の制御にとっても重要な位置を占めていて、いわゆる視蓋(上丘のことをいう)脊髄路が上丘の外側部から発して頚髄にまで達しています。延髄と脊髄の移行部である錐体交叉のレベルから第6頸髄節の高さまでの頸髄前角には、胸鎖乳突筋や僧帽筋を支配する副神経脊髄核が存在し、頭部(首)の運動に関わるその他の頸筋類を支配する運動神経細胞も頸髄前角にそれぞれ集合しています。したがって、顎の運動とそれに連関する頭部(首)の動きの調和に上丘の働きが一役を担っているのかもしれません。

扁桃体は大脳基底核の一部として記載されている場合もありますが、最近ではむしろ学習、記憶、情動などの面において重要な位置を占めている大脳辺縁系の一要素として扱われています。扁桃体には脳幹、視床さらには大脳皮質などから様々な感覚情報が入力するといわれていますし、実験動物の扁桃体を電気的に刺激したり、その一部を破壊したりすると情動行動やそれに伴う自律神経機能に変化を生じることが知られています。刺激によっては動物は噛んだり、なめたりといった行動を示すことがあり、情動行動の一部として顎運動や舌運動が出現してくるのです。これらの運動がどのような神経機構によって発現されてくるのかはよくわかっていませんが、扁桃体中心核から下位脳幹へ下る投射線維の中には三叉神経運動核周囲の網様体や延髄の小細胞性網様体に終わるものが数多く存在することが知られていますので、これらの下行線維が関与している可能性は大きいといえるでしょう。

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